歴史的建築物とツーバイフォー
Two-by-four at Architect
札幌時計台
札幌はもとより北海道観光のシンボルとして全国的に知られる札幌時計台は、正式名称を『旧札幌農学校演武場』と言います。札幌農学校は、近代技術を導入し北海道開拓の指導者を養成する目的で開校したもので、北海道大学の前身としてもよく知られています。
かの有名なクラーク博士は同校の初代教頭として1876(明治9)年に赴任。生徒の心身を鍛える武芸科を設置し、兵式訓練や体育の授業を行うために「武芸練習場」建設の構想を温めながら、志半ばに帰国の途に就きました。2代目教頭のW・ホイラーがその志を継いで演武場の建設を行い、1878(明治11)年10月16日に完成。1階は研究室や講義室などとして使われ、2階は兵式訓練や体育の授業などに使われました。
その構造は、太い柱を使わず、厚板や半割柱で構成した軽量木造建築です。学校の建物らしく簡素で実用的な造りにはバルーン・フレームの特徴が多く見られ、特に2階ホールは仕切りのない大空間(約375平米)で、従来の軸組工法では成し得ない枠組工法ならではの広さといえます。
1906年に農学校は、札幌市の所有となり、曳屋で現在地に移転。その後、郵便局、教育会館、図書館として利用され、1970年に重要文化財となりました。これまで6度の改修や修理を経て、2024年10月にはなんと築146年を迎えます。
北海道の厳しい自然環境に耐え、幾多の災害の危機を乗り越えてきた札幌時計台。まさに我が国のツーバイフォーの歴史に最初の1ページを記し、「200年住宅」の先鞭をつけた偉大な建物の一つといえるでしょう。 時計台は、「開拓使時代の洋風建築」として「北海道遺産」に選定されています。
豊平館
札幌時計台と並ぶ長寿建築物に『豊平館』があります。この建物は、開拓使営繕掛(工業局営繕課)が手掛けた建築物の中でも、邦人技術者の能力の高さを存分に示したものと言われています。
初期の建築ではアメリカ人技師の主導によりバルーン・フレーム構造をシンプルに取り入れたものが多かったのに対し、1879(明治12)年頃からは邦人技術者の成長が著しく、和風の技法などもミックスした個性ある設計に変わってきます。
その発端の一つが豊平館で、厳密にはバルーン・フレーム構造の採用は無いものの、そのベースには開拓使が推進してきたその工法が存在することは間違いありません。
豊平館は、1982年から5ヵ年計画で綿密な復元修理工事が施され、外観も創建当時のウルトラマリンブルーが復活、鮮やかな色彩で訪れる人々の目を楽しませています。
築後130年を超えて今なお輝き続ける姿は、ツーバイフォーが目指す高みでもあるのです。2012年4月~2016年3月まで耐震補強を含む保存修理を行っている為休館していましたが、現在は集客交流施設として再度活用されています。
豊平館も、「開拓使時代の洋風建築」として「北海道遺産」に選定されています。